この記事を読んで分かること
大学での教職課程で学んだことや、実習で見聞きしたもの、自身の学生時代と比べて、想像していた世界とギャップが少なからずあるのではないでしょうか。
不安だ
無能だ
辞めたい
教師から民間企業へ転職した身ではありますが、
教師をやっていてよかった
と嘘偽りなく言うことができます。
難しい世界であることは間違いないですが、その一方で、教師でしか得られない経験があることもまた間違いありません。
今回は、教職を離れた身で恐縮ではありますが、
私が声をかけたいと思うこと
について記事を書いていきたいと思います。
この記事が、
教師になりたくて、やっと教師になることができた
それなのに苦しさを抱えている
教師としてやりたいことがある
でも上手くいかなくて悩んでいる
という、これからの教育界を担う先生方の心を軽くする一助となることを願ってやみません。
新卒・新任教師の皆さんへ。元教師会社員からのアドバイス
・”採用試験合格=教師として優れている”ではない
・間違っていたらちゃんと謝れる
・全員に好かれようとしない
・自分が全てを抱えるべきではない
・全てを真似しなくていい、つまみ食いしよう
・うまくいかないことも多くある
教師だからといって偉くなったわけではない
小学校から中学校へ、中学校から高校へ、高校から大学へ。
私たちは3月31日から4月1日というたった1日の差で、最年長から最も若い年齢に立場が変わることを何度も経験してきましたが、大学生から社会人へと変わるこの時も同様です。
年齢だけでなく経験も知識も全くない立場に移るわけですから、民間企業の場合は社会人として入職する環境は同期以外のあらゆる人が目上の人になります。
しかし教育現場ではそうではなく別の立場の存在がいます。
当たり前ですが
児童生徒
ですよね。
では教師が児童生徒より目上の立場なのかと言うと、私はそうではないと思います。
目上には”歳上”を指す意味が含まれますが、地位や階級が上の人を指すことも多いです。
その観点で見ると、教師と児童生徒は同じ学校の所属ではありますが立場が異なります。
これは上下関係ではなくて、
”教育を施す側”と”教育を施される側”
と表すのが適切だと思います。
ただこれは”教える側と教えられる側”とも言えるので師匠と弟子のような関係と捉えられがちです。
こういった立場の違いだけでなく、教師はすでに児童生徒が過ごした学校生活を経験しています。
そのため”人生の先輩”として上の立場だと思ってしまうこともあるでしょう。
だから”自分自身は敬われるべきだ”という考えが罷り通るかというとそうではありません。
敬意は立場が作るのではなく、その人の人間性や行動が作ります。
年上であろうがなかろうが、経験があろうがなかろうが、教諭であろうが講師であろうが、外面を見せつけるのではなく、内面を敬ってもらえるようなって欲しいと思います。
”採用試験合格=教師として優れている”ではない
この記事を読んでくださる方の中には、昨年度に教員採用試験に合格し、今年度から晴れて教諭として勤務し始めた、という方もいると思います。
そういった方には耳の痛い話かもしれませんが、
採用試験に合格=”良い教師である”ということではない
というのをしっかり理解しておいて頂きたいと思います。
採用試験に合格したのは確かに、教育委員会の方々がその自治体で教諭として勤務してもらいたいと評価してくれたのですから、採用試験におけるいずれかの観点で見ると優れていると言えます。
まわりくどい表現にしてしまいましたが、簡潔に言うと
試験の評価では他の受験者よりも優れていた
というだけです。
採用試験の試験科目は教職に関わるものばかりであるため、そこでの評価が高いと優れた教師であると言えるかもしれませんが、それが実用に足るかと言うとそうではありません。
面接は自分自身をアピールする場で、そういう機会は教育現場ではほぼありません。
模擬授業は自分の語りと黒板しか使用できない場合が多く、また課題もその場で与えられて考えるため授業を行なうまでの前提が異なります(事前に課題を与えられる場合もあるそうですが…)。
教職教養は知識として知っているに越したことはありませんが、その知識を現場で活かす機会もそう多くありません。
教科専門の知識だけは教科指導を行う上で欠かせませんね。
上記のように、採用試験では確かに教師として必要な素養のようなものを評価できる構成になっていますが、完全に教育現場を踏襲しているということではありません。
それに、教師として求められるのはこういったものだけではありません。
傾聴力、タスク管理スキル、同僚との調整力などは採用試験では評価されませんよね。
教師として働いていく中で、経験を通して学ぶものも多くあります。
そういったものは教諭であろうが講師であろうが関係ありません。
教諭と講師では担任など担えるかどうかに差があるものもありますが、これもローカルルールでしかなく、厳密に明言されているわけではありません。
会社では役職の違いは実績差が大きく現れると思いますが、そういう実績というものは教師の世界では何をさすのかが曖昧で評価対象にもなりません。
そのため教諭と講師には待遇には差はあれど、業務や能力に差はありません。
それを”合格した!自分は能力がある!”と思い込まないようにしてもらいたいと思います。
いらぬプライドは成長を阻害するもとですからね。
間違っていたらちゃんと謝れる
説明が回りくどくなってしまっているので、ここからはもう少し簡潔に書いていきたいと思います。
すでに触れている人間性の話に関わりますが、これができない教師は多いです。
教える立場である以上、間違っている姿勢を見せられないという考えはプライドの肥大でしかありません。
教師も職業のひとつでしかなく、それに就いているからといって誰よりも優れているということはありません。
間違うことはよくあるし、分からないことだってよくあります。
それを生徒の前でも開示できることはとても大事なことだと思います。
間違いを認められる姿を教師が見せてこそ、生徒たちもそれができるようになるのではないでしょうか。
また素直に分からないと言えることは吸収力を高めることに繋がり、自分自身の成長にも大きく影響します。
全員に好かれようとしない
小学校で教師をされている方は新卒で即担任ということも少なくないでしょう。
担任でなくても、授業では40人ほどのクラスで授業を任されることは当然あります。
1年間に自分が関わる生徒数は数百人ということも少なくありません。
多くの生徒と関わるのですから、当然いろいろな性格や背景を持った子どもたちがいます。
そういう児童生徒たちの全員から好かれることなんてどうしても無理です。
そもそも教師は生徒たちに好かれるために存在しているのではなく、人間的な成長や自己実現のためにいます。
そのため厳しく叱咤することも少なくはないでしょう。
これは生徒たちの未来のために必要なことをするべきであり、機嫌取りをするべきではありません。
もちろん自分が”この子は苦手だな”と感じてしまう子とは関わらなくていいというわけではなく、自分自身が合わないと感じでいても、その子の成長のために必要なアプローチはしなければなりません。
自身の感情ではなく、教師としての使命に基づいて行動しましょう。
自分が全てを抱えるべきではない
そんな話をすると、嫌でも関わりを持たなければならない、全員の面倒を見なければならないと思うかもしれませんが私はそう思いません。
学校にいる教師が自分ならそうでしょうが、同僚にも色々な方がいます。
これは自分が関わるよりも、上手く関わってくれる先生がいるということです。
表現が難しいですが、これは”経験がある先生の方がいい””という意味ではなく、”自分より性格やウマが合う”という意味です。
全員と全力で向き合う前提で、生徒たちにとって教師は自分だけではありません。
みんなで育てていくという認識を忘れないでください。
全てを真似しなくていい、つまみ食いしよう
同僚の話がでましたが、生徒と同様に先生方も様々な方がいます。
批判を覚悟で言いますが、その全員が素晴らしい働き方をしているかというとそうではありません。
締切を守らない
報連相ができない
全て例年通りで済ます
発言に行動が伴わない
陰口を言う
仲間はずれにする
本当に様々です。
既に書いている通り、教師は職業の1つであり聖職ではないため、ただ資格を持っているだけの普通の人間がその職に就いています。
苦言を呈されるような部分を持った方にも別の側面では尊敬すべきところがあるのですが、参考にすべきでない部分も多くあります。
最近はよくメンターを見つけよう、などと言いますが、メンターは1人ではありません。
この人のここは…だけど、ここは参考にさせてもらおう
といった感じで素晴らしいところをつまみ食いしていくといいと思います。
また参考にするのであれば、ただ何も考えずに真似をするのではなく、
どこがいいのか
なぜ参考にすべきなのか
を明らかにしましょう。ここが良かった、と言語化できたなら自分の中で納得できている証拠だと思います。
最後に。上手くいかないことも多くある
SNSを見ていると授業や担任業務、生徒との関わりなど教育活動の多くの部分で、上手くいかなかったことに落ち込んでいる発信が散見されます。
そういった躓きを受けて、
もう辞めたい
と考えてしまう方が多くいます。
厳しい言い方をしますが、
そんなことは当たり前です。
上手くいかないことばかりです。
どんなに経験を積んでも”これでいいのかな”と思いながらしています。
上手くいかなかった時に、それで悔しさや苦しさを越えようと、もがいて、全力で児童生徒と向き合うことで信頼は生まれていきます。
生徒と教師の関係に限らず、あらゆる人間関係も出会った当初はお互いに探り探りです。
それによって気疲れしてしまったり、上手く関われなかったりすることはよくあります。
業務に関しても同様です。
”こういうものなんだ”と慣れてくるまでは一定の業務の繰り返しが必要になります。
その繰り返しの中で、大変さの中に小さな嬉しさと出会うことができます。
その嬉しさや喜びは、他の職業では味わうことのできない貴重な思いです。
それを経験する前に挫折して辞めないでほしいと思います。
教師になった方は真面目な方も多いと思います。
その真面目さ故に、学校生活で不自由なく過ごせ、悪いイメージもなかったから教師になったという方も少なくないのではないでしょうか。
しかし、想像している以上に色々な背景や課題を抱えた子どもたちがいます。
今まで考えもしたことのなかった悩みと向き合うのは理解ができないし、難しさが大きいと思います。
上手くできなくても、失敗しても、それでも同じ時間を過ごすだけで信頼関係は少しずつ生まれます。
そうすると月日が経つうちに、少しずつ関係も変化します。
また、もし年間を通して苦しい思いだけだったとしても、
年度が変われば、関わる児童生徒も変わる
年度が変われば、関わる同僚も変わる
異動を経験すれば、転職したのと同じくらい環境が変わる
異動を経験すれば、別の視点から捉えられる
年度が変われば、リセットをする機会を得ることができます。
異動をすれば、関わる児童生徒、同僚もリセットです。
教師という職業の良さを経験しないまま去らないでください。
リセットのタイミングは他の職業よりも多いです。
転職をした立場でこんなことを言うのはおかしいかもしれません。
しかし、教師のやりがいも良さも認めた上で、私は教師でしか得られない部分を求めて他業界へと踏み出しました。
10年とちょっとしか経験していないのに偉そうなことを、と思われるかもしれません。
しかし、私の教師経験を通して、お話できることがあると思いこの記事を書きました。
この記事が、今苦しんでいる若手教師の誰かの力になることを願っています。
無理せず、頑張ってください。
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