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【教師だった私へ③】教師2年目。追い求める去年の影。

目次

はじめに。退職を目の前に。

Kurin(くりん)です。

2023年7月に転職エージェントに登録し、同年12月に内定を頂きました。
ちょうど内定の連絡を頂いた頃、次年度の希望調査が行われ、

今年度末をもって退職する

ということを校長に伝えました。

そこから早いもので、4月も目前。
教師としての出勤も既に終え、入職の準備も完了。
あとは会社員としての出勤を待つのみです。

いよいよ新しい世界に飛び込もうとしている私ですが、やはり感慨深い気持ちにはなるものです。
今回は12年間教師として歩んできた自分自身のことを記事にしたいと思います。

当ブログは

教師から未経験業界・未経験職種への転職を目指す方
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さて、この記事はそういった方にとって有益な情報とはならないかも知れませんが、退職間近の私の素直な気持ちをどこかに残しておきたいと思い、キーボードを叩いています。
自己満足の記事ですが、お読みくださる方は息抜き用のエッセイ的なものだと思って読んでいただけると嬉しいです。

教師2年目。追い求める去年の影。

1年目の教師生活は非常に濃いものとなった。
同い年の教諭との比較し落ち込みや嫉妬を感じ、クラブ指導を通して生徒と深い信頼関係を築いた。
心優しい同僚に見守られながら、懸命に教師という仕事に励んだ。

その年の採用試験で合格できなかった私は、講師として隣町の進学校へ赴任する。
進学校、と言ってもその地域には高等学校が多くなく、”その地域での”進学校という位置づけでしかない。
全県的な偏差値でいうと、当時は50を少し超えるぐらいだったのではなかっただろうか。

それでも進学校を名乗るということは、それ相応のプライドがあるということを指す。
実際、その高校出身の教師を手厚く扱い、外様教員は雑に扱われる印象もあった。
具体的な例を出せば、学校案内に載せる授業風景や部活動風景などの写真に写る教師はその高校出身者でなければならないというものがあった。
もう10年ほど前のことなので、現在はそんなことはなくなったようだ。

そんな環境であったため、出身校でもなく、同じ地域の困難校から来た私はあまり良い印象を持っていなかった。
前任校と比べて規模も大きく、全体的にドライな印象を受けた。
今振り返ると、それでもかなり生徒に寄り添った指導をしていると感じる。

赴任した私は1学年副担任、生活指導部、専門外の部活動を受け持つことになった。
生徒は落ち着きがあり、生活指導部の業務は問題なかった。
クラス担任とも協力し、クラスのことをよく見ていて色々報告してくれると重宝してくれた。

問題は部活動だった。
私が担当することになったのは、前任者が転任していないにも関わらず顧問が変更になったクラブだった。
それだけを読んでもお分かりだと思うが、前任の教師が担当を嫌がり、何も知らない若い私に押し付けた形だった。

そのクラブには大ベテランの外部コーチがおり、そのコーチのもとでスポーツをしたいと考える生徒が集まっていた。
また高校で競技を始める生徒も多いスポーツで、他の競技から離脱してきた生徒も所属することが多い。

そのため顧問として統制が取りづらく、コーチや生徒と上手くやれなかったのが持ちたくない原因だったようだ。
私が顧問を持つことになったからといってその状況が変わるはずもなく、年間を通して気を揉むことになり、昨年度には教師のやりがいを学んだ部活動がこんなにも苦しいものになるとは思ってもいなかった。

そうはいうものの手を抜くことはしなかった。
まだまだ若く体が動くので新しいスポーツに挑戦することを楽しみにしようと練習に参加した。
これまで顧問たちからは長く疎ましく思われていたコーチはそれが嬉しかったのか、指導にも少しずつ参加させてくれるようになった。
とはいえ技術的なものはわからないので球出し程度だったが、嬉しい瞬間だった。

そのコーチは周囲に”私に指導者として残ってもらいたかった””あとを継いでもらいたかった”と漏らしていたこともあったらしい。
自分にとっては決して楽しい期間ではなかったし、完全に全身全霊職務を全うしたかというとそうは言えない。
しかし、そのように評価してくれたことは嬉しく思うし、その一方で、内心嫌がりながら従事していたことを申し訳なくも思う。

そのコーチは指導者を引退し、今は別のスポーツを一から楽しんでいるらしい。
80歳を超えてからも日々挑戦のバイタリティを私も見習いたいと思う。

 

授業に関して、当時は国語科の授業に特段のこだわりはなく、ただ与えられた時間をこなす程度の意識だった。
何かを学ぶわけでもなく、かといって改善すべきであるとの声も毎回の授業に目的もなにもないまま展開していた。

参考にしたのは自分自身が受けた授業だった。
私が高校生の頃に受けた授業はお世辞にも良い授業だとは言えなかったように思う。

現代文は単元の文章を読み、先生が出した問いに答えるだけ。
古典は品詞分解をし、現代語訳をするだけ。

その答えに行き着くためのアプローチには触れていなかったように思う。
それがなかったからこそ、国語の授業に反感を持ち、”授業で言われているものは、どうしてそんな解釈をしなければならないのか”という文学研究に関心を持つようになった。
それが私が文学部で日本文学を専攻した理由だから、当時アプローチを教えてくれなかったというのは間違いではないと思う。

話が逸れたが、そんな授業しか受けていなかったため、私の授業も質の良いものではなかった。
向学心のなかった私は国語の授業とはそういうものだと思いこんでいたが、そんなだからこそ解説をするのには苦労をした。
それをごまかすように、授業とは関係のない話をして生徒を楽しませていたのを覚えている。
本質から目を逸らそうとする癖は変わらない。

同僚との関係も気を遣うようになった。
現任校には同級生はおらず、年下は女性1人だけであとは全員年上だった。
前任校では夕食を食べに行くときも和気藹々とした和やかな雰囲気だったが、現任校には酒好きが多くどんちゃん騒ぎ。
お酒の飲めない私にとってはそういう機会も楽しめる場ではなくなった。

同僚との思い出で、今でも覚えているのは採用試験に関連したことがある。
採用試験のために数日帰省し、試験を終え戻ってくると私のパソコンのデスクトップ背景が「不合格」に変えられていた。
自分と仲良くしている(と思っている)同じ国語科の先輩教師が面白がって変えたらしいが、然るべきところへ訴えたら勝てると思う。
試験に受からないことを気にしている私にとっては面白さのかけらもなかった。
そういう空気の読めない人だったため、これまで悪意があるとは考えたことはなかったが、今振り返ってみるとどうだったのかは分からないと思う。

もうひとつ、学年主任との思い出がある。
主任は一回り年上で、何かと可愛がってくれた。
昼食にも行きつけの料理屋に連れて行ってくれ、色々と話をした。
採用試験のことも気にかけてくれ、度胸を付けるためにと1学年全体を前にして話をする機会を作ってくれた。
”1学期を終えるにあたって、各クラスの印象を話せ”と全てのクラスに授業に行っている私にお題だけ与え、内容は好きにさせてくれた。
今思うと不自然な人選だし、ただの2年目の講師に自分のクラスを好き勝手言われている担任は良い気がしなかっただろう。
それでも説得してくれたのか、担任からは何も言われなかった。

採用試験はそうしたサポートを頂いた甲斐もなく再び不合格。
駄目だった報告を実家の祖父母にした際、祖父からは「どこかが足りないんだろうな」と至極真っ当なことを言われた。
じいちゃんっ子だった私は優しい言葉を期待していたが存外厳しい指摘に驚いたが、図星であったためシンプルなその言葉が胸に刺さった。

今振り返ると足りなかったのは”教師としての自覚”だと思う。
何もかもいい加減で、知識や技術に乏しい。
そのくせ、改善の意識もない。

能力もないくせに教師という立場だけで自分を偉くなったと勘違いしているだけだった。
その勘違いはいつからなくなっただろうか。
どこかのタイミングから”教師なんて別に偉くもなんともないのだから実力をつけないと”と思うようになった。

そんなことを当時は気づくはずもなく、3月には2度目の異動が決まった。
校長に呼ばれたとき、全体を通して何か熱を込められるものがなかったため職場を変えられることにホッとした。
熱を込められなかったのは環境が原因ではなく、自分自身が昨年を引きずっていたことが大きいと思う。

何をするにも去年の方が良かったと思っていた。
それは一人ひとりとの関わりが親密だったからのように思う。
この後も異動を経験するが、私にとって規模や校種、偏差値よりも”生徒と時間を掛けて向き合えるか”が重要だったのだと思う。

さいごに。次回は3年目、講師でありながら初担任。

異動ができることに安堵したのも束の間、異動先は同じ校舎にある定時制であることを告げられた。
定時制に異動することは思っても見なかった。
定時制の生徒のイメージは完全にヤンキー。
同じ校舎にあるので、生徒を見かけたことがあるがやはり派手な印象を持つ。

そんな所でやっていけるのかと思いながら、自分の机を片付け校舎内を移動した。

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