この記事を読んで分かること
- 教師から民間企業への転職1週間で感じたことが分かる
- 教師から転職を考える方にとって、転職後を想像する機会になる
Kurin(くりん)です。
インターネットには”転職をしたい”という希望を持った方のその”転職”を実現するためのサポートをしてくれる情報は多く溢れ、それは当ブログも同様です。
その一方で、転職を実現した後の情報を教えてくれるものは殆どありません。
教師から民間企業への転職は人生を大きく転換させるチャンスでもあり、
大きな後悔を背負うリスク
でもあります。
転職活動を成功させて終わりではありません。
内定を貰ってから会社員としての生活を納得の上で送れるのかが大切です。
そのため、この記事では
民間企業に入職したあとに教師経験者が感じること
について情報を共有していきたいと思います。
教師から民間企業への転職を実現させ、実際に働いている者の生の声を参考にしていただければと思います。
個人情報や企業情報の特定を避けるためにかなりボカシた部分も多いとは思いますが、その点はご了承ください。また、あくまで一個人、一企業の例ですので全てがこの限りではないことも合わせてご承知の上、お読みいただければと思います。
転職1週目。飛び込んで気づいた民間企業と教師との違い
- 感じなくてもいいはずの”無能感”
- 新卒入社との扱いの差と、中途入社の立ち位置
- 通勤に関わる費用の感覚差
- 運動量が増えた?減った?
- 業務における裁量権の違い
- お金を掛けるべきところにかけている
- ”やりがい”がない?
- 休日を休日にできる
感じなくて良いはずの”無能感”
仕事をしていると業務の大半は類似した業務の繰り返しで、業務の質やスピードは業務の慣れ具合が大きく影響しています。
新しい業務になるとそれよりも前の段階、内容を理解し慣れることから始まります。
転職活動はその全てが新しい業務になるので、何をするにも
質は低い
スピードも遅い
といった状況になってしまいます。
転職をして新たな環境に飛び込むと、なにか1つでもできることがあればいいですが、何もかもクオリティが低いというその状態に苦しさを感じてしまいます。
教師は転勤をすると全く新しい業界に来たように感じることがあります。
進学校とスポーツ校、いわゆる困難校。
その学校が求められているものによって、価値観もアプローチも変わりますよね。
これまで経験していたことが全く役に立たないということもよくありますが、業務の根本は変わりません。
共通テストを目指さなくても授業という枠組みは変わらない。
その枠組みの経験があるから何もかもが初めて、ということにはなりませんね。
しかし、校内の配置や行事の日程などあらゆるものの流れがわからないため、前年度から勤務している先生とは業務のスピードが違います。
転職をすると、それに類似したスピード感の違いを非常に強く感じました。
そして
自分だけが何もかもわからない
周囲は普通に働いている
というギャップも相まって、自分が無能なのではないかという感覚に陥ります。
自分だけが新しい世界に飛び込んでいるのだから当たり前だ。
と思うかもしれません。
しかし
自分だけがWEB研修を受けるために黙って地蔵のように机に座っている。
一方、周りは忙しく働いている。
という状況下にいると、私は無能感を感じざるを得ません。
そもそも置かれている立場が違うので比較しても仕方なく、それが必要のない視点であることはもちろん理解しています。
先に入職した同僚たちも最初は私と同じ状況でしたし、業務に慣れていけばこの感覚は少しずつ無くなっていくと思います。
”何もかもがわからない”という状況は、大学を卒業し初めて教職に就いた1年目にも経験していますが、この時には”何も知らなくて当たり前”という認識がありました。
まさに学生気分が抜けない、あまちゃんでした。
しかし社会人を10年以上も経験し、その”何もかもがわからない”という状況から長く離れた今、その状態になってしまうのは精神的に辛いものがあります。
これまでの経験を全く使えないわけではありませんが、業務のアプローチは完全にリセットになりますので、そこに慣れていくのが大変ですね。
新卒入社との扱いの差と、中途入社の立ち位置
先ほど”新卒は何も知らなくて当たり前”という話をしましたが、4月1日には中途入社だけでなく新卒の方も多く入社します。
やはりこの”中途入社と新卒入社の違い”にも感じるものがありました。
全くの別業界から入職した私は知識や技能の面では新卒の方と何ら変わりなく、優れているということもなければ、劣っていることもありません。
年齢を重ねていることによる吸収力の低下はあるかもしれませんが…。
社会人経験があるとはいえ、それはビジネスマナーや仕事の姿勢など社会人としての根本に関わるものなので、業務や設備への無知さは同じです。
業務への知識の無さは研修で補われ、業務が同じであれば新卒も中途も同じ内容になる場合が多いです。
しかし、そのプログラムが同じになる一方で、
接し方の違い
を強く感じました。
断っておきますが、”もっと丁寧に扱って欲しい”、”育てて欲しい”なんて私は思っていません。教師という慣れ親しんだ仕事を辞し、そこで得られるやりがいも捨ててきました。
それは教師では得られないものを手にするためで、生半可な覚悟で選んだ道ではありません。
その上で出来ることや学べることは自分から向かっていくつもりです。
しかし、
新卒の方達が笑顔で丁寧に手厚い歓迎をされる一方、中途の私は淡々と紹介されて終わり。
コピー機やロッカーの場所など一つひとつ教えてもらっているのに、私は聞かないと教えてくれない。
そういった扱いの差には刺さるものがあります。
その一方で新卒の方と同じように扱わなければならない中途入社の存在というのも、それはそれで異常だとも思います。
“社会人経験”の中に、そういった確認をする力、自分で調整していく力が含まれているのでしょう
年齢にもよりますが、中途入社は新卒入社よりも給与を高く貰っているでしょうから、そこに新卒入社よりも価値を生み出さなければならないということです。
その価値とは何か、それを考えながら勤めなければなりませんね。
まだ研修期間ではありますが、
受け身ではなく”自分にできること、すべきことはなんだろう”
そんなことを考えています。
簡単に作業や入力があれば喜んでしますが、今の私でできる仕事を貰いにいくのが良いのか、それともこれから待っている業務に極力スムーズに対応できるように研修内容の確認や先輩社員に話を聞くのが良いのか。
”今は自分のことに集中すべきだ”
と
”なにかできることだけでもしたい”
という心理の板挟みの状態です。
これを悶々と抱えているより、どこかで吐き出してしまった方がいいかもしれません。
周囲も研修だけでなく業務に関わりながら仕事を覚えて欲しい、と思っているかもしれませんしね。
通勤に関わる費用の感覚差
これは勤務地が地方から都市部へ変わった方だけ感じるものかもしれません。
私は
地方の県で教師
↓
隣県の都市へ転職
という勤務地にも大きな変化を迎えました。
教師時代はどこに行くにも車が必須で、もちろん車通勤でした。
そしてこの4月から電車通勤なっています。
教師時代は交通費の補助は全額出るわけではありません。
そもそも、自動車の運転にかかる費用のどこからどこまでが通勤に関わるのかを明らかにすることは非常に困難です。
そのため補助が出ても少額で1ヶ月にかかるガソリン代を賄うことはもちろん、通勤に伴う保険料の差額、メンテナンス代など出るはずもありません。
ですから、交通費が赤字になることを当たり前のこととしていました。
そこから電車通勤にかわり、少々電車の時間が長いので、贅沢な話ですが勤務が遅くなったりしたときには有料特急の使用を考えています。
それを同僚に話すと非常に驚かれました。
私にとっては定期代は全額補助が出るので、通勤にかかる費用は
月に1万円程度”しか”かからない
という感覚でしたが、同僚からすれば
1万円”も”かかる”
という感覚のようです。
先ほども述べましたが教師時代は交通費が1万円で済むなんていうことはあり得ず、出費が軽くなったと喜んでいたのですが、その喜ぶ感覚すら会社員(都会人)と違っていたとは思いませんでした。
教師時代の1ヶ月の交通費
- 通勤補助:約1万円
- 学校が契約している駐車場代:5,000円
- ガソリン代:約15,000円
- 保険料使用目的の差額:2500~4000円
※年額 - その他:出張に伴う出費
転職後の1ヶ月の交通費
- 定期代:全額支給
- 有料特急代:毎日使用して10,000円
- 駐輪場代:2,000円
上記のように、差を書き出してみると結構大きいです。
これが普通の感覚だと思っているとありがたいですが、”交通費は全額出るものだ”というのが常識だとわざわざ出費があるのは驚きかもしれませんね。
上記のように、差を書き出してみると結構大きいです。
これが普通の感覚だと思っているとありがたいですが、”交通費は全額出るものだ”というのが常識だとわざわざ出費があるのは驚きかもしれませんね。
運動量が増えた?減った?
教師の時は1日に何度か授業があり、そのたびに教室へ移動し授業を行い、生徒とコミュニケーションを取りました。
生徒に作業を促すものもあれば、私が解説をするもの、生徒との会話も単元に関するものから雑多なものまで様々でした。
そこでストレスも溜まりましたが、約1時間も40人に聞こえるように声を張り上げていたのですから、かなりの発散もまたできていたのだと思います。
また私は体育部の顧問であり、専門のスポーツを指導していたので生徒と一緒に練習をすることもありました。
平日の部活動は長くても3時間ほどで、そのうち私が練習に参参加するのは1時間程度だったと思いますが、練習の補助や指導など体を動かす機会は多くありました。
この1週間はWebによる研修でしたのでずっと自席に座っており、勤務時間中に立つことといえばトイレの時ぐらい。
そのため昼休憩や業務終了後に立ち上がった時には体がかなり強張っていました。
慣れない電車通勤もあり、肩や腰に鈍痛を抱えているのですが、はたして運動量が減ったのかというとそうでもない気がします。
自宅から駅まで自転車での移動
帰宅時に電車に間に合うように走ることが多い
この通勤の変化によって息が上がることがあるからです。
私は自転車はロードバイクを使用し毎日3キロの道を走っています。
退勤後は特に早く帰宅したいため、緩やかな坂を結構な勢いで自転車で走り、帰宅時にはかなり息が上がり足も張っている状態です。
また早く帰りたいのは退社直後も同じで、最寄り駅までスムーズに帰れる電車に乗るために走ります。
こちらも時間の制限があるため急がざるを得ず、電車に滑り込んだ時には結構汗をかいています。
合計6キロの自転車と10分程度の本気のランニング。
瞬間的な運動量はそれなりにあるように思います。
こんな状況ですから、朝起きた時に体の疲れだけでなく足のだるさがあります。
はたしてこの原因は着席時間の長さか、それとも肉体疲労なのかどちらでしょうか。
業務における裁量権の違い
まだ研修を受けている身ではありますが、ノルマに追われている感覚はあります。
それは周囲の同僚の動きやミーティングでの上席からの話、業務の進捗状況が逐一報告されることから感じます。
1日に達成しなければならないノルマが業務ごとに提示され、個人の達成状況が示されるため、まさに数に追われる状態にあります。
チームで案件を管理しているので、そのアプローチも一元化され我流の方法は生まれません。
これは教師との大きな違いだと思います。
教師は自己裁量権の塊です。
クラス担任
教科指導
クラブ指導
全ての業務で自分の色を出し放題です。
もちろん学年や科目担当で共通しなければならないものもあります。
しかし評価など足並みを揃えないと公正性が担保されないものはそうでしょうが、多くのものは自分なりのやり方で行うことができます。
業務のカスタマイズ性が高いのは教師の特徴ですね。
授業で見ても、伝統的な板書&テイクノートの展開の方もいれば、ICTを利用した方もいる。
自分の経験や知識技術を業務に反映していけるのは楽しいですよね。
またこの自由度の高さは
教師は自分の大切なものを他者に伝えることができる
という部分にも現れます。
これが価値観の押し付けであるかどうかの問題はさておき、これも教師の魅力だと思います。
言い換えれば、
教師は”語ること”が仕事の一部である
ということです。
やりがいのある仕事の例として挙げられる”裁量権”。
その自由度の高さから何かに追われるという感覚は少ないと思います。
その一方で、個人に依存する傾向も強いため、その能力によって成果が明確に分かれてしまいます。
良くも悪くも自分次第、自由にやれる反面、やりすぎるとトラブルの種になってしまったり怠慢と言われたりしかねません。
どちらかと言うと、私はこの裁量権を上手く活用できていたと思います。
必要なことややりたいことを随時取り入れ、様々な場面で効率よく行えていたのではと自己評価しています。
この”効率よく”というのは業務がスムーズであるということはもちろん、効果も高いということで、例えば授業であれば生徒の理解の促進に繋がっていた、というように言えますね。
そういった結果を生み出すには相応の時間を割き、努力をしましたがそれが評価となって現れないのも教師です。
自分の経験に基づいて、やりかたをアップデートして生徒の自己実現に大いに役立ったというやりがいだけで満足できたならそれで良かったかもしれません。
ただ私はそれだけでは虚しくなり、自分の行いが評価がダイレクトに評価に現れる世界へ旅立ちました。
お金を掛けるべきところにかけている
教師をしていた時には私を取り巻く環境は古く、くたびれたものが多かったように思います。
まず校舎。
校内で新しいもの、綺麗なものを探すほうが難しいかもしれません。
新しいものはコロナ禍を機に設置された生徒のタブレットPCやプロジェクターくらいではないでしょうか。
それ以外は改修を重ね、”壊れて使えなくなったら交換・修繕する”を繰り返してきたのだと思います。
言葉は悪いですが、どこを見ても汚い。
私が自分が担任するクラスのHR教室で毎年度行うのが、
床、壁を磨くこと
です。
生徒が毎日過ごす教室は特に触っていなくても汚れていきます。
床はもちろんですが、壁も案外くすんでしまっており、クリーナーを付けスポンジで擦ると想像以上に明るくなります。
使用感はどうしても消えないですが、床や壁が綺麗になるだけでも全く印象が違います。
ただそれは応急措置ではなく、ひび割れがあるなどどうしようもない部分も多くあります。
また職員室に目を向けると、先生方の机は物に溢れており、机だけでなくあらゆる所に様々な物が詰め込まれています。
整理が追いつかないほどの業務量だということもあるのでしょうが、職場環境としては望ましいものではありません。
その一方、転職先にはほとんど物がありません。
お客様が来社するので綺麗にしておくのはもちろん、設備が成績に影響するのできちんと整えられています。
そういった面が顕著に現れるのはトイレですね。
私は県教委に採用されていましたので勤務したのも県立高校でしたが、どの学校に赴任しても生徒からは
トイレを綺麗にして欲しい
という意見が出ます。
それほど年季の入ったトイレでしたが、企業にかかわらず商業施設も含めたお客様商売の施設のトイレは綺麗で清潔感がありますね。
設備の整い方は確実に民間企業に軍配が上がります。
ただ先程の”裁量権”にも繋がりますが、自分の机をカスタマイズすることは難しそうです。
教師の時は、自分の意志でモニターアームとモニターを買ってきて増設したり、棚を置いたりしました。
居心地がいい環境を作るという面では教師も悪くはないかもしれませんね。
やりがい”がない?
離れてみて改めて感じますが、教師は良い職業です。
時間を掛けて一緒に過ごした児童生徒たちの成長を見ることができる
卒業し次の段階で活躍する話を聞くことができる
時間が経っても覚えていてもらえる
などのやりがいを挙げることができます。
特に色々な方に覚えていてもらえるのが教師の良いところだと思います。
担任をすると子ども達に覚えていてもらえますし、同僚たちもそうです。
学生時代を思い出すということは少なからずあるので、その度に私の存在が誰かの中で生きていると思えるのは素晴らしいことですね
また教師を辞めることが公になった時には、想像以上に周りの方に惜しんで頂けました。
振り返りエッセイでも書いた、教師1年目の時に顧問をした部活動の生徒たちが私の退職を聞いて、近況報告と感謝の手紙を送ってくれたりもしました。
そういった出会いがもう無くなると思うと残念な思いもをあります。
裁量権の違いでも書きましたが、自由度の高さも教師を辞めて感じる魅力ですね。
こういった楽しかった思い出は、辞めてからの方が強く感じられるかもしれません。
辛かった部分は解消されたらもう感じることがないため忘れてしまいます。
しかし良かった部分はもう手に入らないので惜しくなります。
それは手の届かないところに行ってしまったからこそ美化されていだけなのだとも思います。
そういった思いだけなのであれば、教師は辞めてませんからね。
そういった思いが強く感じられるのは、転職後の今の仕事を”やりがいがない”と感じてしまうからかもしれません。
それはまだ何も業務に従事していませんし、成果も出していませんから当たり前です。
新しい世界を知っていく、という部分では面白みと言えなくはないですが、1日中座ってパソコンを眺めることにやりがいを感じることは難しいでしょう。
そして、民間企業に勤める会社員は
企業の歯車でしかない
というイメージを持たれることが多くありますが、これも自明の話で、教師もまた同様です。
またそのイメージが先行しすぎてしまって、
会社員はお金を稼ぎのためだけに働いている
会社員の仕事に面白みはない
という偏見を持ってしまいがちです。
しかし、それは自身の気持ちの持ちようで、仕事の中で仕事の面白さを見つけられると思います。
そしてそれは教師とは違う側面での面白さだと思います。
失ったものはあるけれど、今は今でやりがいをみつけられる。
どんな面白さがあるのか探しに行くつもりで、仕事と向き合いたいと思います。
休日を休日にできる
教師時代は休日に部活動の指導がありました。
それは土日のどちらか半日のこともありましたし、土日両方の午前中、どちらか1日、土日全てということもあり、完全に土日休みということはほぼありませんでした。
完全休みにする時は考査期間中と大会直後ぐらいです。
それ以外で両方休みにする場合には事情があるのですが、
休んでいいのかな
練習させてあげられなかった
という部活動を行わないことに対する懸念や後ろめたさがありました。
そのため、どこか気になってしまって休むに休めないということもよくありました。
そういう状況から離れた初めての土日はどうでしょうか。
慣れない生活への疲れは正直にありますが、その一方で土日休みの時間丸々を自分のために使えます。
これは当たり前ですが私には当たり前でなく、時間的な余裕を強く感じます。
ただ今は仕事への焦りは残っています。
研修が終わったら業務についていけるかな
やりがいを感じながら前向きに働いていけるかな
といった不安は慣れるまでつきまとうでしょう。
しかし、それが解消された時には純粋に休みを楽しめるかもしれません。
その時にはその時で新たな悩みが生まれるかもしれませんけどね。
これまで持てなかった本当の休日。
今までやりたくてもできなかったことに時間を使っていきたいと思います。
最後に。転職後が良いのかはまだ分からない。
入職1週間で感じた教師時代とのギャップについてまとめてきました。
新たな世界に飛び込むことへのしんどさは転職をするとどんな職場でも感じると思いますが、想像以上に辛いです。
裁量権の観点も加わり現時点では”業務の慣れ”と”教師の自由度の高さ”を失ったことへの後悔を感じないわけではありません。
その一方で、職場環境としては洗練されており働きやすくなったのも事実です。
「なんでこんな所にこんな物を置いているんだ?」とも思うことはありません。
仕事のやりがいについては、まだ本来の業務に従事しているわけではありませんので比較できません。
ただ”思いを語る”ということができなくなった寂しさはありますね。
入職1週間目の感想は以上です。
記事冒頭でも書きましたが、インターネットには”転職をしたい”という希望を持った方のその”転職”を実現するためのサポートをしてくれる情報は多く溢れています。
それは教師から民間企業への転職を考える方も同じで、調べれば有益な情報を得ることができるでしょう。
その一方で、転職を実現した後の情報を教えてくれるものは殆どありません。
教師から民間企業への転職は人生を大きく転換させるチャンスでもあり、
大きな後悔を背負うリスク
でもあります。
転職活動を成功させて終わりではありません。
内定を貰ってから会社員としての生活を納得の上で送れるのかが大切です。
私の実体験は一例でしかありませんが、長い会社員生活を送ることを考える一助となれば幸いです。
今後も入職後の生活について報告していきたいと思いますので、参考にしていただけると嬉しいです。
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