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【Kurinについて】私が教師をやめようと思った理由

Kurin

Kurinです。
私は12年間教師として勤め、2024年4月から会社員として勤めています。

転職をしてからの生活は前向きに捉えられているのか、それとも後悔が尽きないのか。
教師とのギャップを含めて嘘偽りなく報告しています。

転職を選択したということは当然ながら、

教師をやめようと思った

ということです。

Kurin

この記事では私が教師をやめようと思った理由についてお話ししたいと思います。

目次

教師から民間企業への転職…。私が教師をやめようと思った理由は?

家族との向き合い方への後悔。

教師をしていて私が最も後悔したのは仕事の内容ではなく、家族とのことです。
私は数年前に父を亡くしました。

父は60歳を迎え退職をして2年ほどで癌を患っていることが分かり、手術を経てその数年後に他界しました。
手術後は制限がありながらも日常生活に支障はなく暮らすことができました。

そんな中、体調が一変し数か月で亡くなってしまいました。

私の実家は農業をしていたこともあり、手伝いに行ってあげたい気持ちもある上に、父の体調も頭にはありました。
それでも土日のクラブ活動もあり、なかなか実家に寄れない中で父との別れがありました。

Kurin

仕事を理由に実家に行かなかったのは自分ですが、土日が完全に休みであればもっと父に会えていたのも事実です。

父の他界後、実家では母がひとりになってしまいましたが、変わらずなかなか実家には行けませんでした。
同時期に母も足を悪くしてしまい、農作業が余計に難しくなってしまったのですがその頻度を上げることは難しかったです。

満足がいくほど孝行もできなかった
残された母のサポートもできていない

その思いが私に重くのしかかりながら、数年間教師を続けました。

Kurin

そのため私の転職先の条件に”土日休み”は必須のものとして組み込まれることになりました。

仕事へのやりがい…。生徒と向き合うことへの気持ちの変化

プライベートで家族を犠牲にしながら、向き合う生徒たちに対する思いにも変化が生まれていきました。
月並みな表現ですが、教師のやりがいの1つに

生徒の自己実現に寄り添うことができる

というものがあると思います。
進路実現だけでなく、学校生活の様々な場面で生徒のブレイクスルーに出会うことができ、そんな瞬間に教師としての矜持を感じますよね。

生徒たちとは年単位で生徒と深く付き合う教師のルーティンは私を苦しめる要因となりました。

深い人間関係を構築できること
長い時間をかけて関係を築けること

というものは、人と接する職業には魅力的なのかもしれません。
しかし、私にとっては長い時間を共有するが故の愛着の半面、

知りすぎるが故の別れの辛さ
辛い別れの後にすぐ新たな関係を築かなければならないこと

が繰り返されることが負担でした。
最短で1年、最長で3年も一緒に過ごした子ども達との別れの寂しさは、前向きに旅立っていったとしてもどうしても感じてしまいます。

また自分自身が同じところにとどまる一方で教え子達輝かしい未来に前進していく。
そのような「置いていかれる」感覚も苦しさのひとつでした。

寂しさの中で”やりがい”として残る前向きなものも、感情や記憶としてしか残らないことに一種の虚しさを感じ、そこに違和感を持ってしまっていました。

あんなに時間を共に過ごして、尽くした(語弊があるかもしれません)にも関わらず、残るのは

Kurin

よかったなぁ…。

という思い。
教師は慈善事業ではなく、仕事です。
業務には対価が必要です。

年単位で積み上げてきた業務の対価が記憶のみ、ということ。
それだけではモチベーションが上がらなくなっているのが、現職としての苦しみになってしまいました。

Kurin

決して教師と言う仕事のすべてが嫌だったわけではありません。
生徒に入れ込むが故に別れる辛さが負担となり、それだけ頑張っても待遇に変化がないことに対する違和感が大きくなっていました。

頑張りが実績が評価に繋がらない…。

学校という場は営利組織ではない

とよく言われますが”子供達が明るい未来に踏み出すことを利益と呼ぶ”と考えれば立派な営利組織です。
金銭的利益ではありませんが、利益追求をしていることに間違いはありません。

しかし、企業と学校で決定的に違うのは取り組みに対する評価です。

企業の場合は、それぞれの実績が評価や給与にダイレクトに影響するのに対し、教師の場合はどれだけ実績を出そうが給与には反映されない年功序列の世界です。

それを良しとする人いますし、頑張っても変わらないなら手を抜いて過ごす人もいます。

私は全力を注いでしまうタチなので、そういった人たちと同じ待遇であり、さらに年功序列によって給与は自分の方が低いということに納得がいきませんでした。

また職務に励んだ結果得られるのは先述の通り、自分ではない子ども達が前向きに巣立っていったことに対する満足という精神的なものです。
私はそれだけでなく頑張ったのだから、頑張った分だけ具体的な評価をしてほしいと思います。

しかし、本来評価されるべき業務も多種多様で、しかも正解のないものが多いです。

Kurin

そのため頑張りを評価するためのモノサシがなく、努力が評価に反映できないということもモヤモヤのひとつでした。

待遇の面での躍進は期待できないため、別のところで生活を良くしようとしても公務員は原則的には副業禁止です。
公務員はいわゆる「全体の奉仕者」ですので、職務に専念する義務が生じています。

国家公務員にしろ、地方公務員にしろ、それぞれの公務員法が副業禁止の根拠となり、これを無視して副業をしてしまうことが

違法

となってしまいます。

企業勤めの場合は、副業禁止の規定はあってもそれはあくまで社内の規定であって、法的な拘束力はありません。
副業を行うことによるリスクが全く違うということです。

もちろん教師を続けたとしても、転職をして企業に勤めたとしても、任された職務を全うするつもりではいますが、

それとは別に

Kurin

自らの力で利益を生み出す仕掛けを作ることができる環境に身を置きたい

と考えるようになりました。

周囲の人との関係…。深くつながるがゆえの悩み。

最後に、仕事をする上で関わる人に変な人が多いということがずっと私を悩ませていました。

授業に遅れていくのが当たり前
締切を守らない
挨拶できない
間違いを認め謝れない
片付けられない

短時間で簡単に挙げられる同僚の特徴です。

Kurin

こういったところが”教師の常識は社会の非常識”と言われる所以なのではないでしょうか。

また預かる子供やその保護者達にも違和感が多く募ります。
この点に関して多くは語りませんが、

どうしたらそのような感覚で過ごせるのか
なぜ自分の子供のことなのに親が責任を持たないのか
理屈として通らない要求をなぜ平然とできるのか

といったことに日々直面しました。

こういった人たちと同じ仲間であること
こういった人たちに尽くさなければならないこと

に苦しさを感じ、その一方で大切な人に時間をかけることができない。
これが私の中でかなり大きな点だったのだと思います。

さいごに。悩みから解放された一方で、新たな悩みも生まれた。

転職を行うことで、これまで挙げた悩みが解消できたものもあります。
その一方で、別の世界に行ったことで新たな悩みも生まれてきました。

どの段階でどう感じたのかに関しては

入職実体験報告

の記事で赤裸々に述べています。

この記事をお読みの方は、現在仕事にお悩みの教師の方が多いかと思います。
現在の悩みに目を向けるだけでなく、これから生まれるであろう悩みにも目を向けていただければと思います。

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