私が教師を辞めて理由はこの記事でまとめた。
そこにはいろいろな理由を書いたが、今思うのは
人間関係がうまくいかなかったから
これに集約されるのではないかと思う。
同僚との関係がうまくいかない、子どもたちとの関係がうまくいかない。
単純に”合わない”という意味はもちろんだし、私が挙げた「年単位で深く付き合うからこそ卒業された喪失感が大きい」というのも自分が子どもたち卒業することを受け入れられていなかったと言えるのではないだろうか。
人間関係の整理ができなかった。
自分の中で人間関係の折り合いをつけることができなかった。
業務内容に問題はなかった。
誰かに教えることも好きだったし、国語という教科の探究や専門性の向上も好きだった。
何よりも専門スポーツを教えることも楽しみだった。
ただそれを手放してもいいと思うほど人間関係に悩んでいたのだと思う。
自分が殻に閉じこもっていたのかもしれないし、そもそも上手く関係を築くできない相性だったのかもしれない。
今となっては土日の休みの日に仕事に出るということを再びする自信はない。
新しい世界に飛び出して頑張ろうという気持ちもあるし、飛び出した手前戻れないという思いもある。
だから教師に戻ることはないとは思う。
でもこうやって
すべては人間関係だったのかもなあ
と思う機会は転職してからもあった。
私の部署はチームごとに分かれて業務をしている。
最初に配属されたチームは癖の強いリーダーだった。
実力もあるし、学ぶべきことも多くあったがどうしても人間として苦手な部類に入る人だった。
そうなると上手くコミュニケーションが取れなくなり、伸び悩みの時期に入った。
それがチーム編成が変わり、新たなリーダーの下で勤務することになると状況が変わった。
風通しもいいし、相談もしやすくそれが成果に繋がりだした。
そうすると仕事も面白味が出てきて張り合いがでる。
私は人に依存しすぎなのかもしれないし、好き嫌いで仕事をするべきではないとも思う。
でも人間関係で仕事の成果は大きく変わるとも思う。
同じ業務をしていても中身も違えば印象も変わる。
そういえば、教師を辞める最後の年の国語の研究は楽しかった。
私はこれまで教材研究は基本的に一人で行っていた。
教師になってからほとんどの年度で国語科の同僚に悩まされた。
人間関係をかき乱したり、他人に無関心だったりと自分で教材研究を深めていくしかなったように思う。
それはそれで良い意味で自分勝手にやりたい授業を行うことができたのでよかった。
でもどこか寂しかった。
国語科に同い年の同僚がいたときは色々と話ができたが、科目が被ることが少なかった。
そのため最終年の同じ世代3人で教材を練り上げていくのは本当に楽しかった。
そしてそんな関係の中で出来上がった教材は間違いなく良い出来で、面白かった。
教師の心残りを挙げるとするならば、これを間違いなく挙げる。
そういう意味で人間関係は仕事のクオリティに大きく影響する。
現に今の仕事は良い滑り出しを見せていてる。
このまま結果として残すことができるのでなら、この考えは確信に変わると思う。
仕事は1人でするもの
独りでせざるを得なかったもの
という認識を変えられたのは転職をしたからこそかもしれない。
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